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満身創痍、周回遅れのトップランナー(3回目)

第3回

「人生をかけた一大事業」

 ここに至って協議会は存亡の危機に立たされたのであるが、既に多くの債務を抱えている以上、事業を中止するというわけにはいかず、窮鼠となった。まずマンション販売についてはデベロッパーの売れ残り買取保証を取り付け自ら販売することを決意。次に転出者の資産についてはこれを買い取り、地権者法人である株式会社ザ・サードを設立したのであった。 

資本金の大部分は残った地権者3名の出資で賄い、社長として協議会会長であった那須正之氏が就任。ちなみに社名の由来は「三丁目14番地区」によるものである幸いなことに銀行の融資を取り付けることに成功押して転出者への補償もでき、着工へ向けて多く踏み出したのである。

「もう途中ではひきかえせない」

 さて保留床のマンションは万一売れ残ったとしてもデベロッパーが引き取ってくれる約束にはなったのであるが、権利床である店舗のテナントについては相変わらず未定であった。しかし一部保留床まで含めても1・2階で約500坪という床面積では着工前からテナントを見つけることは非常に困難であるということと、マンション販売を考えた場合、どうしても年度末に入居できるタイミングにしたいということもあって、見込着工やむなしという結論に達したのである。かくして平成8年8月、既存建物の除却に着手したのであった。

 着工と同時にマンションの販売を開始。隣接地に民間マンションがほぼ同時に販売を開始したにもかかわらず、比較的順調な販売が続いた。

 工事についてもこの地区としてはかなり大きなもので、騒音の問題でやや苦情があったものの、那須社長の根回しもあって大きなトラブルもなく順調であった。

「道半ばの無念」

 建物の躯体がほぼ出来上がり翌年のマンション引き渡しの段取りを初めた平成9年12月末のことであった。暦の関係で26日が御用納めとなったこの日、株式会社ザ・サードでも那須社長を囲んでこの年の仕事納めをし、社長は年末から民宿で過ごす予定であった。 そのあと急に体調を崩し29日に入院。2日後の31日には帰らぬ人となったのである。長年再開発のリーダーとしてこの事業を引っ張ってきた那須氏が急逝したことにより大きなショックが地権者のみならず周辺商店街に走ったのであるが、幸いなことに遺族の方も那須氏の遺志を尊重され、相続手続きも異例に早く終えることができ、マンションの引き渡しに営業が出ることを免れたのである。

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