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満身創痍、周回遅れのトップランナー(2回目)

第2回 

第一の試練(ホテルの撤退)

 順風満帆は長くは続かなかった。地価高騰を抑えるため平成2年大蔵省が行ったいわゆる総量規制をきっかけにバブル崩壊が起こり、企業の投資意欲が急速に冷え込んできたのである。ホテル業者が出店中止を決めたことによりデベロッパーは新たなホテルを探すことになったが、時期が時期だけに出店をしようというホテルは皆無に近かった。およそチェーンホテルと名がつくところは全てといっていいくらい交渉を行ったが、結果は思わしくなかった。実はこの地区はアーケード商店街ということもあって、事業が完了した今もバブル時代の当時もホテルの適地とは言い難い場所であった。結果的にはホテルが入らなくてよかったとは思うが、バブル崩壊の波をもろにかぶった地権者にとっては長い冬の始まりであった。

バブル崩壊後のマンション投資への賭け

 ホテル誘致がうまくいかず、事業の閉塞感が強まる中で、平成5年ころより市は事業の方針を転換し、住宅型として事業推進することを協議会に対して提案した。市は同時に国庫補助による市街地総合再生基本計画をこの地区で策定し、市街地再開発事業に対する補助対象の拡大を図ったのである。

 地権者が住宅型への方針転換やむなしと判断するに至り、当初のホテル案にこだわっていたデベロッパーも改めて住宅型を検討し始めたが、ここでも問題があった。郊外一戸建て住宅がほとんどで一部にやや郊外型のマンションがあった程度の岡山において、本当の都心部のマンション需要というものが未知数であることが判明したのである。加えてバブル崩壊によるマンション価格の下落傾向により、販売価格に設定が極めて困難で、その結果としてマンションを一括取得してくれる販売会社を見つけることができなかったのである。

 第二の試練(転出者の続出)

 当初数年のうちに事業完了を見込んでいた当時業が、出口の見えないままずるずると長引くにつれて、地権者の間での不協和音が発生してきた。もともと転出意向だったと思われる地権者やテナントが次々と転出による保証を要求してきたのであった。  まず平成3年スナックが転出、次に洋裁店が店を廃業し買取を要求、これらに対して何ら法人格を持たない協議会は、デベロッパーや協議会会長個人で買い支えるしか方法がなかった。さらに平成8年、大口地権者であるアパレルメーカーが期限を切って買取を要求、協議会副会長であった家具店に至っては郊外に新しい土地建物の取得を条件とする事態に至ったのである。

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